2008年 03月 03日 ( 1 )

 

鉢について考えてみました


盆栽と言えば鉢が付き物ですので、今回は鉢についてちょっと書いてみたいと思います

卓も難しいのですが、中国の渡り物から日本の物、あるいは作家物があったり、真贋まで含めますと、鉢は難しい世界と言えるでしょう

鉢を知る上では「樹に合った鉢とは(鉢合わせ)?」や「鉢の鑑定」が一番大事な事なのですが、この事については別の機会に譲る事として、今回は鉢全般の事についてランダムに書いてみたいと思っています

盆栽を再開しまして、鉢に関する疑問をいくつか持っていますので、この視点から少し考えてみたいと思います。最初は何と言っても人気作家の事について触れなければなりません。当代の人気作家と言えば、東福寺・舟山・香山・湧泉・一石・雄山等といったところでしょう

まずは東福寺についてですが、ちょっとした物でも数万円もしますし、本当に良い物は数100万円もするようになっていたのには、正直なところちょっと驚いています。確かに良い物もありますので、ある程度の評価はすることもできるのですが、何の変哲もない手捻り鉢や焼き締め鉢が数万円もするのは、やはり異常な事で、これも『人気』のなせる技としか思えず、不思議な現象であると考えています。鉢そのものの評価と言うよりも作家の人気によって価格が左右されるのは、ある程度仕方がない事としても、ちょっと行き過ぎと言いますか、趣味者が皆同じ美的感覚を備えているとは到底思えず、ちょっと異様な感じですね

僕が小品盆栽をやっていた時(20年程前ですが)、こちらでは3000円~10000円くらいが交換会の相場でした。良いなと思う物でも僕が購入する場合は5000円くらいまでで、それ以上だと、やはり高いと思っていました。これは、前に書いたように陶磁器と他の工芸品との違いも含めての事で、東福寺の鉢は出来の善し悪しはともかく、総数で考えると、恐らく数万個は流通しているはずで、個々の出来の評価はともかくとして、価格面で考えると10000円はやはり高いと思ったからです

鉢の価格(人気を含めて)は業界が作っている、とか言われていますが、この事の真偽のほどはさておき、人気や価格の操作をするのには、そこそこ味もあるし、何よりも制作枚数が多いので、都合の良い作家であった事は間違いありません。物が良くて制作数が少なければ、人気も価格も上がるのは当たり前の事ですが、これですと、収まる所に収まってしまえばそれでお終いになってしまいますので、制作数が多いというのが扱う業者さんには好条件となるのは必然で

近年は絵鉢と呼ばれる分野(染め付け・赤絵・五彩)も人気があるようで、大助・雄山・月香・一石・湧泉などが高価に取引されています。やはり古い話になって申し訳ありませんが、20年ほど前までは、「こんな絵鉢に盆栽など似合わない」と言う事で、評価は低く大助あたりで2000円くらい、雄山でも5000円前後で取引されていたくらいですから、数倍どころか10倍くらいに値上がりしています。このことも作られた人気かもしれませんが、当時、そのような鉢に見向きもしなかった人達がこぞってそのような鉢を集め始めたりするのを見ていますと滑稽ですらあります(笑)。もちろん、最初から絵鉢が好きで集めていた人もいますので、それはそれで良いのですが、人気が出てきたから欲しくなるというのは、人間の性なのかもしれませんので仕方がないのかもしれません

昔から絵鉢が不人気の理由は、「使い難い」というただ一点です。盆栽や水石を飾るのは、ただそのものを飾ると言う事ではなく、基本的にはそのものの持つ美(侘び寂び・古色感・痩せ等々)を魅せるとともに、季節感を表現するものです。近年の展示会を見てみますと、明らかに夏の山水景色が描かれている鉢を冬場に使っていたり、その反対もあるなど、季節感をまったく無視したような鉢使いを目にしたりしますが、この使い方は良くない事は言うまでもありません。また、山水景等が描かれた絵鉢と盆栽を取り合わせるのも、あまり似合う物ではありませんので、この2点から実用鉢としての評価は低かったのです

もちろん、上手に絵付けをされ鑑賞価値の高い鉢であれば鑑賞鉢としての評価はなされていましたが、あくまでも鑑賞用としての評価だけのもので、和鉢では真葛とか幹山あたりがこれに該当するくらいでしょう

鉢コレクターさんならともかくとして、普通に使うのであれば絵鉢はあまりお勧めするものではありません

窯変については近年になって見直されてきたものです。以前ですと、窯変は発色がおかしい不良品として2級品扱いをされてきた時代もありますが、いまでは立派に陶芸芸術の証として認識されるようになってはきましたが、時には、釉薬が溶けるほど温度が上がらず発色不良をしているものや、逆に釉薬が溶けて流れてしまったようなものまで窯変として扱われたりするなど、知識不足による混乱も生じているように思えます。このあたりはキチンと見極める事も必要でしょう

さて、肝心の良い鉢とはという事についてですが、その条件的な物を列挙してみたいと思います。鉢は陶芸作品でもありますから、陶芸的に優れているものでなくてはなりませんが、まあ鉢作家さんが作っているものは、陶土・釉薬ともある程度選び抜かれたものですし、成形も釉もだいたいはキチンとできていますので、ほぼ問題はありません。あとは陶芸作品としての『味』とか『特徴(個性)』といったところでしょうか。ただ味や特徴と言ってもなかなか文字で表現するのは難しく、味で言うと舟山独特の土目は、舟山だけが出せた土目の味でしょうし、平安香山鉢の持つ直線のシャープさや、独特の均釉の発色などは香山の特徴(あるいは個性)と言えるでしょう。このような作家の持っている味や個性をどのように評価するのかというのが、鉢の評価項目の一つと言えるでしょう

鉢の形状についても考えたい項目の一つになります。形状と言っても鉢形の事ではなく、重要なのは足の作りや位置などです。鉢の形は楕円・長方・正方・丸・木瓜・多角形等とほぼ決まっていますので問題はないのですが、足については同じ大きさの物でも、幅が広い物や狭い物、長い物や短い物などさまざまですし、六角形の鉢に3本足・4本足・6本足などがあったりし、鉢のイメージを決める大きなポイントになっています。ですから、鉢上部と足のバランスというのは非常に大事なもので、鉢の善し悪しを決める大きな要因となりますので、バランスの取れた物が良い鉢と言えるでしょう

ちなみに、多角形の鉢(6角鉢8角鉢等)については、それぞれの角に足をつけるのが大原則となっていて、3本足4本足というのは本来付けなければならない足が省略されたものですから格下扱いをされてしまいますので、正式な足が付いている物の方が良いと思います

価格についても少し考えてみたいもので、鉢でも小鉢はかなり割高ではないかと思っています。これは少し前に書いた事ですが、他の工芸品比べれば一度に大量の物を作る事ができますし、もちろん大量に作られているのにもかかわらず、人気のある物は高値安定しているように感じています。特に小鉢の高さは異常とも思えるくらいの水準ではないでしょうか

価格という面を考えますと、鉢の善し悪しだけで決まるものではなく、人気・大きさ・制作数・釉薬・形状等のさまざまな要素がかかわってきて一概にいえないところではありますが、結局は需給のバランスで決定される事になるのですが、一番大きな要素は何と言っても人気でしょう。たいしたものではなくとも人気が出ると価格は上昇してしまいますが、小鉢界はその傾向が特に顕著に現れている世界だと思います

小鉢専門の方もいますが、だいたいの作家さんは小鉢・普通鉢・水盤とも制作しています。東福寺・陶翠(緑寿庵)・一陽・香山などは、小鉢・普通鉢・水盤ともそれぞれ評価も高く人気がある作家で、東福寺や香山は水盤よりも小鉢の方がはるかに制作数は多く、陶翠や一陽は前の二人に比べやや多くの水盤を残されているように思います。そこで、現在の価格を比べてみますと、だいたい次のようになってきます

      小鉢   鉢   水盤
東福寺   5~15 20~30  20~30
陶翠    3~6  5~10   5~10
香山    5~10 10~15  15~20
一陽    2~5  5~10  15~30

小鉢については、3寸程度の普通出来の物(東福寺や香山などはもっと高いかも)
鉢については、一尺程度の普通出来の物
水盤については、一尺5寸程度の普通出来の物
というように、それぞれ一番使うくらいのサイズで、その価格を比べてみますと、恐らくこんなものだろうと思います

窯の容量は決まっていますので、大きなものほど焼ける枚数は少なくなりますので、当然の事ながら価格は高くなりますので、小鉢よりも普通鉢の方が価格は高いです。また、鉢と水盤では同じように見えますが、水盤の方が焼成時に狂いやすい為(鉢は鉢穴があるため熱や焼成時の変化が逃げやすいのです)、焼くのにも高い技術が必要になってきますので、水盤の方が高価になるのが普通なのです

東福寺は水盤の絶対数が少ないため、水盤価格は高めではありますが、小鉢が数万個に対し、水盤は恐らく数100枚程度でしょうから、小鉢の割高感はあります。陶翠に至っては、小鉢も水盤も似かよった価格ですから、やはり小鉢の割高感は相当なものになります。下手をすれば水盤の方が小鉢より安いような現象も生じていますので不思議なものです。香山も水盤の制作数は少ないため、価格は高めに感じますが、小鉢の割高感は相当あります。一陽は水盤の名手であるとともに寡作でもあったため、水盤の評価は非常に高く陶器的な評価で見てみますと、だいたいこんなものだろうといったところです

また、価格は陶器的な価値だけでなく、需給バランスや人気の有無などで価格の高低も決まってきます。新品ならば大きなものの方が高価なのは前述したとおりなのですが、中古市場(と言っても、普通の市場価格とも言えますが)では、小さなものほど価格が高いという不思議な現象になってしまうのも、需給バランスによるものとなっています

大型盆栽を好む人が減っているので、二尺以上もあるような大型鉢はかなり価格も安くなり、最盛期には100万円もするような大型鉢が十分の一位になってしまったのも需給のバランス関係からです。水盤価格についても、水石人口の減少と大家と呼ばれている人達の相次ぐ売り立て等により、供給圧力が強まっている事から、価格も安くなってきて、物にもよりますが最盛期の数分の一から十分の一位まで価格が下がったのは、これから始めるような人には、かなり良い環境となってきています。おかげさまで、絶対に買う事はできないだろうと思っていた水盤なんかも、かなり安価に入手することができるようになり、この傾向は僕としては大歓迎しています(笑)

蛇足ではありますが、水盤も大型鉢も最盛期よりはかなり安くなっていますが、価格の下落率で見ますと高価な物(高価だった物)ほど価格は下がっていて、普及品的な物はあまり(もしくはほとんど)価格が下がっていないというのも不思議な現象で、例えば丸善の白磁水盤などは最盛期には尺五寸物で15000円~20000円程度でしたが、現在でも10000円~15000円程度と、それほど下がってはいないのですが、中国の白交趾水盤は、最盛期ですと最低でも50万円、均釉水盤に至っては、最低でも100万円ほどしたものが、今ではその三分の一とかそれ以下位ですから、高価な物ほど下落率は高くなっているのが面白い現象です。これにはいろいろな理由があるのですが、ここではあえて触れないことにします

割高感のある小鉢ではありますが、小品盆栽をやっている人であれば小鉢を使わなければなりませんので、鉢を求めなければなりません。そこで、どのような鉢を求めるのが良いのか少し考えてみたいと思います

人気があり高価な作家物・絵鉢などは、真っ先に除外されます。東福寺を1枚買うのなら割安感の高い支那鉢を数枚買った方がはるかに良さそうですし、自分で楽しむだけの人なら少し古めで盆栽屋さんの棚隅に放置されているような少し古めの新渡鉢や古めの常滑鉢で充分でしょう。もちろん、作家さんの新しい鉢でもまったく問題はありません。前述したように本体(胴)と足のバランスが良く、釉薬の良い鉢さえ使っていれば、盆栽と渾然一体となって樹を引き立たせる事ができますので、このような鉢を求めると良いのではないかと思っています

そうは言っても、盆栽を続けていきますと良い(高価な)鉢を欲しくなってくる人もいます。このような場合に注意したいのは、鉢の真贋もさることながら、一番大事なのは「その作家らしさ(特徴)を備えている」鉢を購入する事をお勧めします。展示会などで鑑賞する場合は、鉢底の落款を覗き込む人はいませんので、落款を見なければ判断できないような鉢では、極端に言えば無価値に等しいようなもので、誰が見てもすぐにその作家だとわかるような特徴を備えた鉢の方が一般受けは高いものとなるのは言うまでもありません

もちろん、さらにその上を行き、一部の通人にしかわからない鉢を使うというのも楽しい事なのですが、地方の小さな展示会では、あまり意味をなさないかもしれません(笑)

それと鉢を語る上でついて回るのが「真贋問題」でしょう。東福寺はその筆頭でしょうが、1万円以上するような鉢であれば他にもあるのはどの世界でもまったく同じ、本物もあれば偽物もたくさん流通しています。偽物がまかり通っているのは好ましい事ではなく、排除できれば良いだろうとは思いますが、それは不可能なことで、どの世界も同じに偽物とつきあっていかなければならないのは世の常とも言えます

では、どのようにして偽物と付きあえば良いのかということになりますが、一番簡単なのは真贋を見極める目を養うという事になるのですが・・・正直なところ、そこまでしなくても良いのではないかとも思っています。僕の考えは前述したように「小鉢は高い」という基本認識を持っています。本物の東福寺だったら10万円はくだらないといような鉢があったとして、それくらいの鉢なら偽物でも数万円はするはずですが、本物でも偽物でもそれだけの価値を見いだす事ができれば良いだけの事であって、本物だったら10万円、偽物でも数万円の価値を見いだす事ができる人だけが入手すれば良いだけの事す

時に偽物を掴まされて怒る人がいて、業者や業界を批判するような人もいますが、その鉢に対してその価格で納得して購入したのならば、ちょっと見当違いのようにも思えます。型物の量産鉢ならともかく、手作り鉢は一品一品の出来により価格が違って当たり前にも思えますので、何はともあれ、納得して購入したのなら、ある程度は仕方がないことでもあります

日本人は昔も今もブランド志向的なところがあって、鉢においても、「本質」ではなく「作家(ブランド)」指向だけで購入していますと、このようなつまらない詐欺に引っかかってしまうのでしょう。このような詐欺的行為に引っかかってしまう人は、得てして「ブランド指向」とか「ひょっとすると儲かるかも」などのような、数寄的精神が薄い人が多いように思えます

鉢選びについても、卓選びと同等に自分の審美眼に従って購入するのが、何と言っても一番という事になります

贋物と言えば有名なのは、ご承知のとおり絵画の世界でして、「お化けと応挙には一度会ってみたい」という言葉があるように、丸山応挙の絵には本物1枚に対して、贋物が数千枚はあるとされるほど贋物ばかりの世界です。もちろん、贋物として作られた物もあれば、絵師の勉強のために模写された物まであり、真面目な贋作から嫌らしい贋作まで多数あり、価格もピンからキリまでで、本物なら数千万円、贋物は絵のクラス(出来映え)によって数千円から数万~十数万円といったところでしょうか。贋物を見たからと言って騒ぐ人はいませんし、贋物は贋物でそれなりに楽しんでいる人が多いのも絵画や骨董の世界です。いずれ鉢の世界も、このようになるのではないかと思っています。そうすれば、鉢に対する評価も変わってくるのではないかとも考えています

鉢の裏を見て、足の形が良くない・こんな落款はおかしい・釉薬がイマイチ・足の付け方が違うなどのほんの微細な部分でやれ本物だ偽物だと騒ぐのは、鉢コレクターさんにお任せしておき、普通の人は、自分の信じた(目にかなった)鉢を使っていれば良いのではないでしょうか。もちろん、贋物であっても出来が良くて安ければ(相応の価格)、それを使うのも良いでしょう。普通の家に応挙の真作があるはずはないのですが、それはそれで楽しめれば良いだけの事です

いずれにせよ、鉢にこだわるのは良い事だと思うのですが、鉢の評価を「作家(ブランド)」や「世間の評価」だけに頼ることなく、自分の審美眼に沿って使う事の方が無駄な楽しいのではないでしょうか

「贋物でも、本物と見分けが付かなければ本物で通る」ということが、どの世界にもあります。少し古めの新渡の中国鉢や常滑などでも作りが良くて、時代の乗った鉢などは、いわゆる「中渡り鉢」と、土目・出来映えなどの区別が難しい物もたくさんあります。このような鉢などは、鉢穴の開け方や足の付け方、ヘラ目などの微細な違いだけで、中渡り物と区別をするのが難しいのにもかかわらず、その微細な違いと新渡というだけで安価に販売されていたりしますので、鉢のコレクターならともかく、普通の趣味者であれば、こんなものでも十分ですし、このような鉢は良い鉢と言える見本かもしれません

価格は十分の一でも、『樹を活かすという』事で同じくらいの働き(機能)であれば、安いに越した事はありませんから、そのような鉢を探すのも楽しみの一つともなります

もちろん、銘樹に合っている銘鉢を取り合わせれば、良い物になることは言うまでもありません。要は鉢や樹が泣かないようにすれば良いと言うところではないでしょうか。そして余裕がある人は、さらにワンランク上の鉢を使えば良いだけなのかな・・・・・
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by haruka000s | 2008-03-03 23:13 | その他